BCヘリテージサイト – グリーンウッド
Sitting, left to right: Johnny Ikari (95 years old), Fumio Izuka (90) and Shig Uyeyama (90). Standing, left to right: Chuck Tasaka, George Yamaguchi, Audrey (Higashi) Stewart, Sylvia Oye, Seiji and Sachi Matsuo, Gail Shimizu, Clare (Tanaka) Folvik, Boyd Higashi, Ken and Cec Hamanishi, Irene Terada, AG Niki Sharma and MLA of Boundary-Similkameen Roly Russell. Photo by Ciel Sander.
JCLSでは、まだ州内で特定した30のBCヘリテージサイトの場所について公表しておりませんが、リストにはGreenwood’s Nikkei Legacy Parkが含まれる予定です。2月2日、ニキ・シャーマBC州司法長官とバウンダリー・シミルカミーン区ロリー・ラッセル司法長官が、グリーンウッドを訪れ、この地を故郷とし続ける日系カナダ人生存者に敬意を表しました。奇跡的なことに、前日は寒く湿った日でしたが、当日は太陽が雲の間から射し込み、暖かい光が参加者を包みました。まず市庁舎を訪問した後、Nikkei Legacy Parkでグリーンウッドについて、そしてバンクーバー島から多くの日系人が送還された、1940年代の強制収容についてなどを学びました。その後、グリーンウッド博物館へにて今回の訪問は終了しました。すべての参加者にとって有意義なものとなり、シャーマ氏は再度訪問したいと述べました。
ジョン・ボルト、グリーンウッド市長と町議会の大多数が、日経カナダ人生存者に敬意を表し、沿岸から追放された日系カナダ人家族だけでなく、町自体にも影響を与えた変革期について学ぶため、イベントに出席されました。
かつて銅鉱山で栄えたグリーンウッドは、1940年代には衰退し、住民はわずか200人ほどになっていました。当時のW.E.マッカーサー・シニア市長が日系カナダ人の受け入れを申し出たことで、グリーンウッドは最初の収容所となりました。
1942年4月26日、CPRの列車がグリーンウッド駅に到着し、収容者の第一陣が乗せられました。日系カナダ人の大工や配管工は、古い建物を収容施設として整備し、4つの大きな公衆浴場を建設しました。家族は、空いているホテルや商業ビルに移され、共同キッチンと共同配管が設置されました。第二次世界大戦終結後、他の収容所が閉鎖される中、多くの日系カナダ人がグリーンウッドに残り、働き続けました。そして1949年、すべての制限が解除されると、多くの人が残り、事業や店舗を立ち上げました。Higashi Plumbing、Imai Shoe Repair and Electrical、Nakagawa Dry Cleaner、Tanizawa Greenwood Bakeryなどは、収容中または収容後に設立された企業の一部です。この収容がグリーンウッドに与えた影響は大きく、日系カナダ人の存在は、ゴーストタウンだった町を活性化させました。